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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)244号 判決 1964年5月26日

原告(反訴被告) 小佐野岩治

被告(反訴原告) 足立満恵 外二名

主文

原告の本訴請求を棄却する。

反訴被告は反訴原告等に対し、別紙第二目録<省略>記載の建物を収去して、別紙第一目録<省略>記載の土地を明渡し、且つ別紙第一目録記載の建物を明渡せ。

反訴被告は反訴原告等に対し昭和三八年一月一九日以降前項の土地及び建物の明渡済に至るまで一ケ月金七四九四円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は本訴、反訴を通じ本訴原告(反訴被告)の負担とする。

本判決は反訴原告らにおいて共同して金員の支払を命ずる部分については金三万円を土地並びに建物明渡部分については金四〇万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

本訴原告(反訴被告。以下単に原告と表示する。)訴訟代理人は、本訴につき「反訴被告らは原告に対し、別紙第一目録記載の土地、建物につき訴外足立ミネの死因贈与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は本訴被告らの負担とする。」との判決、反訴請求につき、「反訴原告らの請求を棄却する。訴訟費用は反訴原告らの負担とする。」との判決を求め、

一、本訴につきその請求原因として、

(一)  別紙第一目録記載の土地建物(以下本件土地建物と表示する。)は訴外亡足立ミネが昭和三六年六月一五日に死亡するまで所有していたものである。しかるにミネは昭和二〇年二月頃原告に対し、右土地建物を遺贈することを約していたので、右土地建物はミネの死亡と同時に原告の所有に帰したものである。

本訴被告から(反訴原告から。以下単に被告らと表示する。)はミネの異母弟妹であり、ミネには死亡当時他に配偶者、直系卑属、直系尊属がなかつたため、被告からはミネの相続人となり、右土地建物を共同相続したものとして相続による所有権取得登記を経由した。

よつて原告は被告らに対し本件土地建物の所有権移転登記手続を求める。

(二)  ミネが原告に本件土地、建物を遺贈した事情は次のとおりである。

ミネは明治三三年三月一一日出生し、生後間もなく里子に出され、満八才の時父留吉が後妻として当時一七才のさとを迎え、その後留吉とさと間に被告らが出生した。ミネはさと及び被告等とは折合が悪く、間もなく結婚にも失敗し、恵まれぬ生活を続け、満二二才の折、単身上京して独立の生活を始めた。昭和三年頃父留吉が上京し、金融会社(パス相互商会)を創設した後、ミネは右会社に勤務し、その給料により自からの生活を樹てていたが、昭和七、八年頃(当時ミネは三二、三才)偶々原告(当時二五、六才)と知り合い情交関係を生じた。原告は当時妻である訴外小佐野しまとの折合が悪く別居生活をしていたので次第にミネと懇となり、間もなく同棲生活を始めるに至つた。その間ミネは昭和一三年に父留吉から本件土地を、その後更に昭和一七年に本件建物の贈与を受けたので、原告はミネとともに本件建物において同棲生活を続けた。原告には法律上の妻しまがいたのであるが、原告としまとは性格が合はず、全く別個の生活を送り、その間には夫婦らしい生活がなく、しまも右生活を承認していたので原告とミネとは公然事実上の夫婦同然の生活を続けパス相互商会の旅行にもミネの家族として同行し、被告満恵、被告葉子の結婚式にもミネの夫として出席した。

ところが昭和一九年暮留吉の経営する株式会社パス相互商会が解散し、ミネはその収入源を喪い、経済的に将来の生活に不安を感ぜざるを得ないことゝなつた。殊にミネは従前からその家庭の事情から義母さとや被告らと親密な交際がなく更に原告との同棲生活などのため冷遇されていたため、将来の生活については原告に依存するほかない実情であつた。そこで昭和二〇年二月頃ミネは原告に自己の将来の生活の保証を依頼し、その際本件土地建物を、自己の死亡の際は原告に贈与することを約したので、原告もこれを承諾したものである。

と述べ、

被告の抗弁に対して、

(一)  抗弁事実はすべて争う。

(イ)  原告とミネとの関係は法的にいえば夫婦ではないが、原告と法律上の妻しまとは性格の相違から夫婦仲が冷却し、昭和一〇年頃からミネ死亡の昭和三六年六月一五日頃まで全く別居しており、その間に夫婦の実体はなく、原告とミネが実質的に夫婦として生活しているものである。すなわち、原告は昭和四年妻しまと結婚したが、しまは原告の妻としてよりも寧ろ姑の嫁として立場を守つていたため、夫婦仲は当初から円満を欠いており、しまは昭和六年頃長女アイ子を連れて一旦上京し、都内渋谷区神宮通りに借家住いをしたが、依然夫婦の溝は埋らず、昭和一〇年二女出生後は全く別居生活に入り、昭和一九年には、しまは郷里である山梨県に戻つた。その後原告としまの交渉は、ミネが原告としま間の子の世話をした間、年、一、二回の割合で上京し、子供の様子をみに来たに過ぎず、原告も食糧の入手、または、不在地主の適用を免れるため郷里に赴いたことがあるのみで、両名間には夫婦の実体はなくなつた。他方原告とミネは昭和一〇年頃から同棲生活に入り、都内世田谷区代田橋、渋谷区南平台、同区神泉町等に次々と移転しながら同棲し、昭和一七年以降は本件建物において事実上の夫婦として、精神的にも夫婦としての紐帯に結ばれた生活をなした。したがつて原告とミネとの生活については、妻しまも、子等もこれを承認し、長女アイ子、二女美智子、長男悦雄も公然本件建物に住み、ミネの面倒を受けたほどである。

(ロ)  また原告とミネの間柄は、以上記載したように精神的にも紐帯を有する実質的に夫婦同然の関係であり、その関係はミネの死亡まで二〇有余年の長きに亘つており、通常の妾関係と異るものである。したがつて本件遺贈は不倫な性関係を維持するためのものではない。

更に、仮りに原告とミネの関係が妾関係であるとしても本件遺贈が公序良俗に反するためには右処分が不倫な関係を維持するための強制力を伴うごとき対価の意味を持つことを要するのであるが、本件の場合は、原告は当時呉服商として充分な収入があり、したがつて原告がミネとの関係を継続したことは右遺贈には全く関係がない。よつて右遺贈が公序良俗に反するとの被告らの主張は理由がない。

(ハ)  以上のとおり、原告とミネの間柄は公然夫婦としての生活がなされていたのであるから、本件遺贈がミネの非真意の意思表示のはずはなく、仮りに非真意の意思表示であつたとしても、原告が当然にこれを知り得べき状況にはなく、知り得べかりしものでもない。

(ニ)  ミネが昭和三四年右遺贈を取消したとの主張は否認する。

と述べ、

二、反訴につき、事実上答弁として

被告ら主張のとおり、本件土地建物がもとミネの所有であり、ミネが死亡し、被告らがその相続人であること、原告が被告ら主張のとおり、本件土地建物を使用していること、並びに本件土地建物の賃料相当額が被告ら主張のとおりであることはこれを認める。

と述べ、

抗弁として、

(一)  本件土地建物はミネの遺贈によつて原告の所有に帰したものであり、その原因及び被告の再抗弁に対する答弁は本訴請求原因及び抗弁に対する答弁と同様である。

(二)  仮りに右が理由がないとしても被告らの反訴明渡請求は次の理由によつて権利の濫用として許されない。

原告はミネと二〇有余年の長きに亘り、夫婦同様の共同生活を維持し、同居の親族と同様の関係にあり、本件土地、建物には昭和一七年春以来現在に至るまで居住し、本件土地建物がその生活の唯一の根拠となつている。これに反し、被告らは肩書住所にそれぞれ自宅を有し、本件土地建物を使用する必要性は原告に比して極めて少ない。仮りに被告らが本件建物に居住する必要があるとしても、本件建物は広いのであつて、原告とともに居住でき、原告に明渡を求める必要はない。よつて原告に明渡を求める反訴請求は権利の濫用として許されない。

と述べた。

被告ら訴訟代理人は、本訴並びに反訴につき主文同旨の判決を求め、反訴につき保証を条件とする仮執行の宣言を求め、

一、本訴請求原因に対する答弁として、

(一)  請求原因(一)項中、足立ミネが本件土地、建物を所有していたこと、ミネが死亡したこと、並びにミネと被告らの身分関係並びに被告らが現に右物件につき相続取得登記を了していることは認める。原告が遺贈を受けたとの点は否認する。

(二)  同(二)項中ミネと義母さと並びに被告らとの折合いが悪く親密な交際がなかつたとの点、原告と妻しまとの間に夫婦らしい生活がなかつたとの点、したがつて、原告とミネが夫婦同然の生活をしていたとの点、パス相互商会解散後ミネが将来の生活に不安を感じたとの点、ミネが本件土地建物を遺贈したとの点は否認し、その余の点は認める。

ミネは父留吉から溺愛され、さとも留吉の意に沿い姉妹のように振舞い、打ち解けた間柄である。ミネが被告らと同居しなかつたのは、ミネの勝気な、我儘な性格から自から選んだもので、気の向くまゝに一人暮をしたり、被告らと同居したりしていたものである。ミネはパス相互商会においては取締役の地位にあり、月収二〇〇円ないし二五〇円の高給を得ており、相当の貯蓄もあり、商会解散後も本件建物に於て間貸しをなし得る境遇にあつたもので、ミネに生活の不安はなく、被告らが援助をしなかつたことは、ミネと被告らの間柄が悪化していたことによるものではない。他方原告としまは昭和四年長女アイ子を、昭和一〇年二女美智子を、昭和二二年長男悦雄を儲けており、法的にも実質的にも夫婦、親子としての家族生活を維持している。したがつて原告とミネとの間は到底夫婦として認められる間柄ではなく、単なる性的享楽ないし野合の関係で、右関係はミネ死亡時まで続いたがミネは原告の妻しまが上京する際は別室に寝かされ、アイ子美智子の結婚式には出席を許されない状態にあり、したがつてミネが生活の安定のため原告に本件土地、建物を遺留する筈はない。

と述べ、抗弁として、仮りに遺贈を約した事実があるとしても、

(一)  右遺贈はミネが原告との不倫な関係を維持しようとする目的にでたものであるから、公序良俗に反し無効である。すなわち、原告は昭和四年五月一八日山梨県河口湖町において小佐野しまと婿姻届出、同年長女アイ子、昭和一〇年二女美智子更に、昭和二二年長男悦雄を得て引続き法的にも実質的にも夫婦親子としての生活を維持してきたところ、原告は呉服行商の便宜のため、ミネの住居を営業上の溜りとして利用し、絶えず正妻宅とミネ宅を往来し、正妻しまとミネとの二人の女性関係を維持しており、ミネは原告に妻子のあることを知りながら、原告と情交関係を生じ、性的享楽ないし孤閨の寂寞から逃れるために野合の状態を継続したものである。本件遺贈はミネが右関係を維持するためになした財産上の契約であり、公序良俗に反することは明らかである。

(二)  仮りに右が理由がないとしても、本件遺贈はミネが原告との不倫な情交関係を維持しようとする、いわゆる閨房内の睦言に類する非真意表示であつて、ミネの死後といえども、本件土地建物を贈与をする真意があつたものとは到底考えられない。原告も当然これを知りまた知り得べかりしものである。

(三)  仮りに右が理由がないとしても、本件遺贈は書面によらない契約であるところ、ミネは昭和三四年頃、原告が目黒区内の第三の女性と関係を生じたことを知るとともに屡々原告と争い、原告に対し、本件建物から出て行くことを要求した。右の要求は原告に対し関係を絶ち、本件建物からの立退を要求するものであるから遺贈契約を取消す趣旨のものである。よつて本件遺贈契約はミネにおいて昭和三四年中に取消したものである。

と述べ、

二、反訴請求原因として、

(一)  本件土地、建物は亡足立ミネの所有に属するものであつたところ、同人は昭和三六年六月一五日死亡した。被告等はミネの相続人たる地位にあるので、ミネの死亡後本件土地建物の所有権を相続により取得しその旨の登記を了した。

(二)  しかるに原告はミネ死亡後はなんの権原もないのに本件建物に居住し、本件土地上に別紙第二目録記載の建物を建築所有して、本件土地、建物を占有している。

よつて被告らは原告に対し、別紙第二目録記載の建物を収去して本件土地の明渡、並びに本件建物の明渡を求める。

(三)  なお昭和三六年度並びに昭和三七年度の本件土地、建物の固定資産説評価額はそれぞれ、五六万七、八八〇円、七八万〇五〇〇円であるから被告らは原告の本件土地、建物不法占有により一ケ月金七、四九四円の統制賃料相当額の損害を蒙つている。よつて被告らは原告に対し、ミネ死亡の後である本件反訴状送達日の翌日である昭和三八年一月一九日以降右物件明渡済に至るまで一ケ月金七、四九四円の割合による金員の支払を求める。

と述べ、

原告の遺贈契約に基ずく所有権取得の主張に対しては前記一、本訴請求に対する答弁及び抗弁と同様である。

と述べ、更に反訴請求に対する原告の権利濫用の抗弁に対し、被告葉子が原告主張のとおり住居を有することはこれを認めるが、その余の点は否認する。被告満恵の住居は夫の所有であり、被告和興は妻の実家に同居中である。原告は原告とミネの関係は親族同様であると主張するが、原告とミネの関係は公序良俗に反する男女関係があつたに過ぎず、したがつて明渡請求につき当事者双方の利害を較量する必要はない。なお原告は現に本籍地において居宅一棟、宅地三五坪、畑八筆、原野四筆、山林二筆を有し、その他にも相当の資産を有し、東京都内に住居を要するとしても容易に入手し得る状態にある。

と述べた。

証拠<省略>

理由

一、本訴請求について。

(一)  別紙第一目録記載の土地建物が訴外亡足立ミネの所有に属していたが、同人が昭和三六年六月一五日死亡し、ミネの相続人たる被告らが右土地、建物につき相続による所有権取得登記を了していることは当事者間に争がない。

よつて原告の、死因贈与による取得の主張について判断する。

各その成立に争のない甲第二号証、同第三ないし第一〇号証、乙第二ないし第四号証、証人横山親造、同足立さと、同黒須アイ子の各証言、原告本人尋問の結果、被告足立満恵本人尋問の結果(第一回)並びに弁論の全趣旨を綜合すると、原告とミネ間の昭和二〇年二月頃までの交際の事情として次の諸事実を認めることができる。ミネは父留吉の庶子女で、明治三三年三月一一日出生し、幼児のうちに里子に出され、小学校入学当時留吉に引き取られた。留吉は明治四二年三月に、妻さと(明治二四年一一月二六日生)と婚姻し、その間に被告満恵(大正三年七月七日生)、被告葉子(大正七年七月一五日生)、被告和興(大正一三年七月六日生)を儲けたが、留吉はミネの境遇に同情し、特に同女を可愛がり、さとも同女との年令の差が少ないことも原因して兎角ミネに対して遠慮勝ちであつた。ミネは満二〇才当時訴外近藤福次郎と婚姻したが約一年で離別し、単身上京して自活の途を計り、電灯会社に勤務した。昭和三年頃父留吉も上京し金融業を営み、間もなく右事業を株式会社組織とし、株式会社パス相互商会を創立し、ミネをその取締役につけ、事務の一部を担当させ、月給として二〇〇円ないし二五〇円を支給した。ミネはその境遇上及び勝気な性格から被告らと同居したり、単身間借りをしたり気侭な生活をしていたが、昭和八、九年頃、呉服行商人として屡々ミネ方を訪れていた原告(明治四〇年五月一七日生)と情を通ずるに至つた。原告は妻しまと婚姻し、大正四年一二月に長女アイ子、同一〇年四月二女葉子を儲け、昭和四年五月に妻しまとの婚姻届を了し、昭和一〇年頃までは東京都渋谷区内神宮通り附近に同棲生活をしていたが、しまとは性格上の相違があり、夫婦仲は当時既に円満を欠いていた。昭和一〇年頃原告は妻の家を出て、渋谷区南平台のアパートでミネとの同棲生活を始め、その後ミネとともに住居を転じたが、昭和一七年ミネが本件建物を留吉に新築して貰うとともに、同建物に移り、ミネとの同棲生活を継続した。その頃原告は自動車を所有して行商に従事していたし、ミネもパス相互商会からの給与があり、裕福な生活を続けた。その間留吉は原告との関係についてミネを非難せず、寧ろパス相互商会で催した旅行会にミネが原告と同道することにも異議を述べず、被告満恵及び被告葉子の結婚式にも原告をミネの夫として遇して出席させ、ミネと原告との間は留吉から公然と認められた形となり、円満な生活を続けることができた。昭和一九年春原告の妻しまは原告の郷里である山梨県に帰り、原告は徴用されて、本件建物から工場に勤務するようになり、農繁期などに郷里に戻る外は本件建物でミネと同棲していた。右のような事情のもとで、昭和一九年の暮パス相互商会は営業不振のため解散した。ミネはその際は退職金、残余財産等特別な財産を貰い受けることができず、他に新たに職を探すこともしなかつた。以上の認定を覆すに足る証拠はない。

右認定諸事実からすると、ミネは年令の大差のない義母を迎え結婚にも失敗して、単身上京して就職の途を選んだのであるから、父上京後も、父母の許に生活することに窮屈さを感じていたことは客易に推認でき、更に妻帯者であり、七才年下である原告と同棲生活を始めた後は、その関係につき、父からは夫婦としての扱いを受けても、なお義母であるさと並びに弟妹である被告らに対して引け目を感じていたであろうことも充分推測するこができる。他方昭和一九年暮頃まで、ミネと原告の同棲生活は約一〇年を経ているが、原告の妻は昭和一九年春頃まではなお東京都内に居住しており、原告との間に二子を有し、同年春同女が郷里に戻つたとしても、その後原告も農繁期のためとはいえ、郷里に戻ることもあり自己と原告との共同生活についての将来に多大の不安感をもつていたことも容易に推認することができる。

次に右判示事実と、その成立に争のない甲第一号証証人横山親造、同岡村ちよ子の各証言並びに原告本人の尋問の結果に徴すると、ミネは、本件土地、建物は所有していたが、パス相互商会解散後は他になんら収入源がなく、益々原告との共同生活の将来に不安を感じてきたので、昭和二〇年二月頃原告に対して自己の生涯の面倒をみることを確約させ、その際父留吉が原告に本件土地、建物をとられることを必配していたので、直ちにこれを贈与することはできないが、死亡後は原告にこれを贈与すると約したことを認めることができる証人足立春雄(第一回)、同黒須アイ子、同高田寿子、同渡辺益一の各証言、被告満恵本人尋問の結果(第一回)並びに証人渡辺益一の証言の結果その成立を認め得る乙第一三号証の記載によれば、その後原告がミネに対し、本件土地建物の名義を即時原告に変更することを要求したこともあるが、ミネはその際はその要求に応ずる意思のないことを表明したことを認め得るけれども、右事実によつてはいまだ上段判示を覆すに足らず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

しからばミネは昭和二〇年二月頃本件土地建物をミネ死亡の際贈与する旨を約したのであるから、この点についての原告の主張は理由がある。

(二)  よつて被告の抗弁について判断する。

被告は先ず、ミネの右死因贈与は不倫関係の維持を目的とする財産処分であるから無効であると主張し、原告は右贈与はミネとの関係維持とは無関係な純粋な愛情から出たものであるのみならず、原告は妻しまと事実上離婚状態にありこれに反しミネとの関係は精神的結合のある夫婦同然の関係で不倫関係とはいえず、且つ右贈与は原告にミネとの関係を維持せしめる強制力のないものであるから有効であると争う。

その成立に争のない甲第一四、第一五号証、前掲甲第一〇号証、乙第三、第四号証、証人黒須アイ子の証言並びに原告本人の尋問の結果によれば、なるほど原告は妻しまが、原告の妻としてより寧ろ原告の母に対する嫁としての立場を守つていたため、原告の不満を招き、その他性格の相違から夫婦仲が冷却し、昭和一〇年以降、昭和三六年六月ミネ死亡時まで別居していたこと、その間原告はミネと終始同棲生活を継続し、昭和二三年以降、勉学のため上京した原告、しま間の長女アイ子、二女美智子、長男悦雄がいずれも本件建物に住み、ミネも右三児の面倒をみ、右三児もミネの世話を甘受ししまとミネの原告に対する態度から原告がしまと別居してミネと同棲していることに理解を示すに至つたこと、ミネは原告に愛情を注ぎ、昭和二五年三月には自己の生命保険につき原告の長女アイ子を保険金受領者に指定したのみならず、アイ子の大学進学につきミネの妹である被告満恵に助力を求める労を取つたこと、原告は昭和一七、八年当時から呉服行商についても自動車を使用し、相当裕福な収入を得ていたことを認めることができる。しかし、前記(一)認定の諸事実と前掲甲第一〇号証、証人黒須アイ子の証言の一部、原告本人尋問の結果の一部を綜合すると、原告とミネとの関係は、原告が妻と同棲していた昭和八、九年に既に生じ、しまは、原告とミネが本件建物に同棲した後である昭和一九年春に郷里に戻つたものであること、原告はしまに対して別居後はもとより帰郷後も生活費を送り、更にその後毎年農繁期などにしまの許に帰つており昭和二三年にはしまが長男悦雄を出産していること、を認めることができるので、原告としま間は事実上の離婚関係にあつたものとは到底認めることができず、従つて、原告とミネとの関係が単なる遊戯的な情交関係にあつたのでなく情神的にも相互に夫婦の如き愛情と信頼があつたとしても、なお他に正妻しまがいる以上、原告とミネとの右の関係は道徳に反した不倫の関係にあるものと解せざるを得ないところである。

次に上示(一)認定の事実から考えると、ミネが本件死因贈与を約した当時は、原告とミネの同棲生活が一〇年続いたとはいえ、原告としま間には二児があり、しま帰郷後も原告はしまの生活費を負担していたのみならず、年間数度はしまの営む農業の手伝い等のためしまの許に帰つていて、いまだしまとの結び付きは残されていたのであり、他方ミネは従前の多額な収入源を絶たれ、原告に対する優位の地位を喪つたのであるから、上示認定の、ミネが本件死因贈与を約した際、原告に求めたミネの生涯の保障は、少なくとも原告に対し従前同様ミネを妻同然の地位においてその面倒をみることを原告に約諾させた趣旨のものと解するほかはない。したがつて右の当時ミネに、原告に対する強い愛情があつたとしても、右贈与は配偶者のある者に対し夫婦同然の関係の継続を求めるためになされた財産処分と認めるのが相当であり、原告に当時相当の収入があつたとしても、なお、右不倫関係を維持するために利益を与える趣旨を喪うものではない。

以上判示のとおりであり、ミネの本件死因贈与はミネが原告との不倫関係を継続するためになした財産上の契約と認めるべきであるから、その目的において公序良俗に反する無効のものと解するのが相当であり、被告の右抗弁は理由がある。

(三)  以上説示したとおりであるからその余の抗弁について判断するまでもなく、原告の本件土地、建物に対する所有権取得の主張は理由がないことに帰し、右取得を前提とする本訴所有権移転登記手続請求は理由がなく、失当として棄却を免れない。

二、反訴請求について。

(一)  次に被告らの反訴請求について判断するに、ミネが本件土地、建物の所有者であつたところ、同女が昭和三六年五月一六日死亡し、被告らがその相続人となつていることは、当事者間に争いがなく、原告主張のミネの死因贈与契約は結局その目的が公序良俗に反して無効であるとの被告らの抗争が肯認されることは前示一、における認定判断のとおりである。よつて本件土地、建物は相続により、被告らの所有に帰したものと認めるべきである。

(二)  次に原告が、本件建物に居住し、本件土地上に別紙第二目録記載の建物を建築所有し、右建物及び土地を占有していること、本件土地建物の相当賃料額が一ケ月金七、四九四円であることは当事者間に争のないところである。

(三)  原告は、被告らの本件土地、建物の明渡請求は権利の濫用であると抗争するので判断するに右主張を肯認するに足る証拠はなく、却つて被告和興本人尋問の結果によれば、被告和興は昭和二六年結婚したが、いまだ妻の実父所有家屋の二階に間借りしていることを認めることができ、他方その成立に争のない乙第五ないし第七号証によれば原告は現に山梨県河口湖町に木造瓦葺平家建坪二四坪一棟、その他同所に宅地、畑、原野、山林等一五筆を有することを認めることができるのであつて、原告の右抗弁は理由がない。

(四)  以上判示のとおり被告らの原告に対する本件建物の明渡を求め、別紙第二目録記載の建物を収去し、本件土地の明渡を求め、且つ昭和三八年一月一九日以降一ケ月金七四九四円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める反訴請求は理由があり、正当として認容すべきである。

三、よつて原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、被告らの反訴請求はすべてこれを認容し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小河八十次)

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